吃音症経験後記 〜高校生編〜

吃音

高校1年生

中学校を卒業して、高校の入学式までの間は少しだけ、不安なことがありました。

それは、最初に必ず行うはずの自己紹介です。1対1で初対面の人と話すのはまだ大丈夫だったのですが、大人数の前となると緊張とかでうまく言葉が出てこないことがあるため、不安で一杯だったのを覚えています。この時は、ちょっと考えすぎて別のことを楽しめない時もあるくらいでした。ですので、なるべく考えないようにして過ごしていました。

そして、ついに入学式がやってきました。式自体は特に何かする訳ではないので難なく終わることができました。教室に戻って先生の話が終わり、いよいよ自己紹介タイムになりました。

やはり、クラスの前で発表でしたが、教壇には立たず、その場で立っての発表という感じだったのでまだ気持ちが楽でした。順番は出席番号順でした。私は最後から2番目だったので待ってる時間が地獄のように長く感じました。いざ順番が回ってきて立って1回深呼吸してから、はじめました。


「◯◯中学校出身のyoshiです。サッカー部でした。これからよろしくお願いします」


確かこのような感じのことを言った記憶があります。緊張していたけれど割とすらすらと話すことができて、特に吃音症だということを感じさせないような自己紹介ができたと思いました。ちょっと早口だったかもしれませんが笑


このようにして何とか最初の難関を突破することができました。
それからの学校生活では、吃音で不便に思うことはあまり無かったと思います。緊張でドキドキしたのは、音読くらいだったでしょうか。

高校2年生

1年生も無事修了し、2年生に進学しました。

2年生の10月くらいまではすごく順調でした。部活はサッカー部で楽しくできていましたし、それなりに友達もいました。他のクラスの知らない人でも何か話さなければならない場面では話すことができていました。本当に楽しく順調だったと思います。

ですが、ちょっとしたことからそんな高校生活も変わってしまいました。

ある日の英語の授業でペアワークをしました。内容は教科書の例文をお互いの読み合うというものです。これ自体は、1年生の時からあったのでよかったのですが、この日の例文は「a」から始まる単語だったのです。普段は気にしていなかったのにこの時はなぜか言葉に詰まってしまいました。1度詰まってしまうと意識してしまってその後も吃ることが多くなっていきました。以前ならすぐに修正して、吃ることは無くなっていたのですが、今回は全く修正することができませんでした。

それからというもの、英語と国語(現代文・古文)の授業がくるたびに、ものすごく緊張してしまい余計に吃ってしまうという悪循環になってしまっていました。なんとか良くしようとネットで吃音症について調べました。

後々後悔したのですが、この調べると行為が私にとって症状をさらに悪化させる原因になったと考えています。なぜかというと、吃音症のことを調べてより深く意識してしまったからです。

そして、ますます症状が悪化していきました。今までは「母音」から始まる単語をよく詰まらせてしまっていましたが、「母音から始まる単語以外」でも詰まらせてしまうようになったのです。また、今までは発表や音読などでしか症状はでていませんでしたが、なんと普段の会話(家族・親しい友達は除く) でも吃音症状がでるようになったのです。ですので日常生活に支障がではじめました。

吃ってしまったらどうしようと、友達に話しかけに行くのが少し億劫になり、元々そこまで積極的ではありませんでしたが、より一層、活発ではなくなりました。唯一に救いは友達がいじったりせず変わらず接してくれたことです。また、いじめなどにも発展することはありませんでした。吃音症でいじめられてしまうことは多々あるかと思いますので、とても有り難かったです。いまとなっては、もしかしたら、それほど私の吃音のことは気に留めてはおらず、私が一方的に思い詰めていたのかもしれません。

部活では、不思議と吃音がでることはありませんでした。

学校以外でも多々不便なことが増えました。

例えば、コンビニで唐揚げなど口頭で商品を頼むことができなくなったり、店の予約や美容院の予約などの電話ができなくなりました。みんなができて当たり前のことができないのはとても辛く、なんど自分はこんなことも出来ないのかととても思い詰めていました。この時は本当に何をしても症状が改善することはありませんでした。

辛いことばかりではありましたが、なんとか高校2年生をやり過ごすことができました。

高校3年生

辛い2年生の後半が終わり、春休みがきました。この期間は部活と遊びなどで吃音症を気にすることがないように過ごしていました。吃りそうになったら友達や家族に変わりに言ってもらったりしてました。それと同時に、新学期がきてほしくないということばかり考えていました。新学期が近づいてくるにつれて不安が増していきました。

そして、新学期が始まりました。3年生ではクラス替えがありました。 クラス替えといえば、自己紹介です。

前回の自己紹介とは違い、症状が深刻になっていたので、ものすごく不安でした。結果としては盛大に失敗しました。最初の言葉がでてこなくて話すことができなくなってしまいました。こうなってしまっては負のループにハマってしまってなかなか話すことができなってしまいます。なんとか話そうとして話す単語の前に「えーと」を何回を繰り返してみたり、「えー」と言ってみたりしてました。

例えば、「初めましてyoshiと申します」と言おうとしたら

「えーえーえー初めまして」 「えーとえーとえーと 初めまして」と言った感じです。

始めの単語を発音してしまえば、あとは比較的話すことができたのでまだよかったです。

クラスに対しての最初の印象はあまり良くないものになってしまったと思います。ですが逆に考えればこんな感じで話すことを知ってもらえてよかったかもしれません。

新しく友達を作るのは少々大変でした。また、3年生も運良くいじめられることはありませんでした。

授業では、引き続き英語、国語が毎回不安でしかたがありませんでした。この時間が来なければいいのになーといつも考えていました。そして、もう1つ不安なことが増えました。それは、ちょっと変わった授業のはじめ方をする先生がいたことです。授業本題にはいる前に1人が気になるニュースを調べてきて発表するというものです。自分の番になりそうだったら、授業を休もうかと思うくらい嫌でした。

3年生は、2年生の時よりも症状がさらに悪化しているような感じがしていました。担任の先生に授業中に指名しないようにお願いするほどでした。

また、少々良くないことも考え始めました。それは、「学校休みたいなー・サボりたいなー」とか、から始まり 「大怪我して入院すれば授業を受けなくてすむ」とか、「死んでしまえば辛いことから開放されるかもしれない」とか、絶対にやってはいけないことまで考えてしまっていました。

そんなことを考えては否定して、吃音のことを考えてと、良くない考えのループにハマって抜け出せなくなっていました。

特に改善することもなく、大学受験の時期になりました。

この時考えていた進路としては、サッカーをしていたのでスポーツ関係の仕事に就きたくて色々調べていました。その時、理学療法士という職業に目が止まりました。私自身、怪我をしたことがあったため理学療法士の方にお世話になったことがあったため、とても興味がわきました。

理学療法士はコミュニケーション能力が重要になってくると自分の中では考えていました。ですので、私には、無理だと思いました。

しかし、1つの考えが浮かんできました。

それは、このまま吃音症のことを引きずって逃げるよりも、大学生活を通してたくさん話をしたり、吃音症の治療を受けたりして、なんとか吃音症を克服して理学療法士になろうという考えです。

この決意を胸に受験勉強したり、少し積極的に話してみたりなどしましたが、現状は何も変わらず症状は相変わらず深刻でした。ですので、面接のない大学や受験方法で進学できないかなと色々調べました。

理学療法士の大学でも探せば以外と、面接なしで受験することができました。

そして、なんとか大学進学をすることができました。

多くの吃音症の方は面接で苦労すると思います。ですので、私は運がよかったかもしれません。

高校生活も残すところ、卒業式だけになりました。卒業式では、名前が呼ばれて返事をするというたった一瞬の発言があると思います。この時の私は、この「はい」という2文字も不安でした。ですが、結果としては、これは吃ることはありませんでした。不安で仕方なかったですが、終わった時はとても安堵しました。(本当、情けないと今は思います笑)

こうして、半分は楽しい、半分は辛い高校生活が終わりました。

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